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    はじめに
     
    越前万歳 -えちぜんまんざい- (国指定無形民俗文化財)
     
    郷土芸能として親しまれている越前万歳は、古い歴史をもっています。男大迹皇子(後の継体天皇)が味真野におられた頃、皇子の愛馬が馬草を食べなくなりました。そこで宇津保の舞を演じたところ、馬の病気が回復したと伝えられています。
    古来、新年を祝い各地を回わりました。弓形のばちで、こすりながら叩くすり太鼓が特徴で、毎年元日には味真野神社で初舞が行われ一年が始まります。
    神と紙のまつり -かみとかみのまつり- (県指定無形民俗文化財)
     
     全国唯一の紙の神様、川上御前を祀る岡太・大瀧神社のまつりです。1500年前紙漉きの技術を教えた川上御前を今も崇める里人が、連綿として、古いしきたりのまま今も受け継いでいます。
     大滝の後方、大徳山頂に奥の院があり毎年5月3日神輿で神様を迎えに行き、下宮に安置。4日は例祭神事。5日は五箇(大滝・不老・新在家・定友・岩本)の神社へ神輿渡御があり、夜になると再び奥の院に神様を送ります。なお、33年ごとの本開帳、50年ごとの中開帳には式年大祭も行われます。
    蓬莱祀 -おらいし-(国選択無形民俗文化財)
     
    継体天皇が河内の国、樟葉宮で即位されたことを祝い、お送りした行列をまねて行ったのが始まりと伝えられています。また、五穀豊穣、無病息災を祈願する正月の行事という説もあります。
     山車は、木ぞり(修羅)に特大の米俵を台座にして、真ん中に栗の木を立てて、枝には繭玉(餅花)を付け、御幣、鏡餅、松や杉の枝などで飾りつけます。山車の町内巡行には音頭取りと呼ばれる古老の木遣り唄にあわせて賑やかに進みます。
     粟田部・岡太神社の祭事で毎年2月13日に行われ、山車巡行は近年2月11日に行われています。
    迹王の餅 -どおのもち- (粟田部 岡太神社)
     
    粟田部 岡太神社の祭事で、毎年10月13日に行われます。継体天皇が大和の国玉穂の宮に遷宮されたことを粟田部の人々が祝福した行事となっています。
    男大迹皇子がこの地におられた頃、皇子は人々の生活安定のため河川を改修して洪水を治め、農業や養蚕を奨励するなど親切に世話をされました。それに感謝して人々が餅を搗いて差し上げたところ、皇子からもまた餅を搗いてみんなに下賜されたという故事によった内容となっています。
    粟田部で男子が生まれると迹王の講に届けるとその年から餅が配られます。その男子が青年になると相応の量の餅を搗いて、仲間とともに神社に奉納し、翌日、餅札持参者に餅が配られます。講の加入者は生涯にわったって迹王の餅を受け取ることができるのです。
    謡曲「花筐」 -はながたみ-
     
     この謡曲は、室町時代に世阿弥(1363~1443)によってつくられました。男大迹皇子が味真野郷におられた時、26代継体天皇として大和の国に迎えられることになりました。急なことであったので恋人照日の前に玉章と、形見の花筐を残して出立されました。
     皇位についたら必ず都へ迎えるという約束もすでに秋になり、照日の前は迎えを待ちきれずに玉穂の宮へと赴く。途中、天皇の紅葉狩りの行幸に出会い、狂女の振りをし形見の花筐を持って美しい舞を舞い、めでたく再会を果たすという物語です。
     世阿弥は越前を訪れたとき、男大迹皇子の伝説を知りこの謡曲を創作したものと思われます。また、女性で初の文化勲章を受章した上村松園は、照日の前が花筐を持って舞う狂女の姿を「花がたみ」(大正4年)という作品に残しています。

     

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