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    はじめに
     
    岡太・大滝神社 -おかもと・おおたきじんじゃ-
     
    神と紙の郷、大滝にある岡太神社は、今から1500年前男大迹皇子(後の継体天皇)がこの地におられた頃、村人に紙漉きの技術を伝えた女神・川上御前を紙祖神として祀る全国唯一の神社です。
     大瀧神社は推古天皇の頃にはじまり、養老3年(719)越の大徳として知られた泰澄大師が大滝寺を建立し、国常立尊と伊弉諾尊の2座を祭神とし、十一面観音をその本地仏とする神仏習合の歴史をもっています。
     現在の社殿は天保14年に建てられ、本殿と拝殿の2つの建物の複合社殿で、重なり合った山の峰を思わせる重厚で優美な桧皮葺き屋根が特徴です。また、建物周囲全体に中国故事をテーマとしたすばらしい彫刻が施され、昭和59年(1984)重要文化財に指定されています。
    岡太神社 -おかふとじんじゃ-
     
    粟田部の地名は、男大迹部が訛って粟田部になったと伝えられ、1町1字1,000軒ある全国的にも珍しい自治組織を持つ地域です。その粟田部地区にある神社で、当初“玉穂宮”と称したらしい。
     21代雄略天皇8年(479)に鎮座。養老2年(718)泰澄大師がここに仏像を勧請して神仏習合となり白山三社大権現神社として崇められました。この神社の相殿には継体天皇が祀られています。
     この神社の特色ある祭りをあげると、1月 左義長祭、2月 市祭り(小判買いともいい当日の深夜に貨幣交換の神事、餅米粉で作られた小判をもらい商売繁盛を願う)と蓬莱祀(継体天皇樟葉宮即位を祝う行事。別掲)、10月 迹王の餅(継体天皇玉穂宮遷宮を祝う行事。別掲)など男大迹皇子(継体天皇)とゆかりの深い関係にあります。
    味真野神社 -あじまのじんじゃ-
     
    味真野神社は、もと須波阿須疑神社と呼ばれていた五分市の総社神社を中心に周辺の 10社を合祀し、明治4年に味真野神社と改称して池泉の鞍谷御所跡に移されました。祭神に継体天皇が祀られています。境内およびその周辺に、謡曲「花筐」発祥の石碑、継体大王と花がたみの銅像、継体天皇御宮跡の石碑があります。
    五皇神社 -ごのうじんじゃ- (文室)
     
    男大迹皇子が味真野に住んでおられた時、学問所を建てられて勉強をされました。地名も文室と呼ばれ、ここに宮殿を建て応神天皇から継体天皇の父、彦主人王までの五皇を祀ったと伝えられています。
    花筐公園と薄墨桜 -かきょうこうえんとうすずみざくら-
     
    春は桜、秋はもみじの名所。背後に三里山、前方には越前富士とも呼ばれている日野山が遠望され、静寂で落ち着いた雰囲気の公園です。一歩足を踏み入れると水の音、鳥の鳴き声が聞えてきます。
     園内には、男大迹皇子(後の継体天皇)と照日の前との恋物語をテーマとした世阿弥の“謡曲花筐ゆかりの地”と書かれた石碑(十七世 宝生九郎書)が建っています。
     そこから徒歩で約20分登った山中に、男大迹皇子が都に上るとき、形見として植えたといわれる薄墨桜(樹齢600年 県指定天然記念物)があります。
    ※ 薄墨桜は他に味真野、帆山、鯖江市河和田にもあります 。
    皇子が池 -おうじがいけ-
     
    継体天皇の皇子である27代安閑天皇、28代宣化天皇がこの地で生まれた時、産湯に使われた池と伝えられています。花筐公園の一角にあり周囲は格式高い6角形の玉垣をめぐらし、横の井戸からは今も清冽な水が湧き出ています。
    日野山と日野神社 -ひのさんとひのじんじゃ-
     
    日野山を目の前に仰ぐ中平吹、荒谷、向新保、常久にある日野神社は、継体天皇を祀る神社です。日野山は越前富士とも呼ばれ越智山、文殊山、吉野が嶽、部子山とともに越前五山の一つで、昔から信仰の山となっています。
     日野の呼び名は古代製鉄と深いかかわりがあり、古代の越前を繁栄させた要因の一つとして鉄製農具の生産と日野川の水の開発があったのではないかと類推されます。
    勾の里(上真柄町)・桧隈の里(徳間町) -まがりのさと・ひぐまのさと-
     
    継体天皇の第1皇子である勾大兄皇子(27代安閑天皇)の誕生の地と伝えられています。また、ここには継体天皇が月見の時、腰を掛けた月見の石が残されています。
     すぐ近くには第2皇子の桧隈皇子(28宣化天皇)の地、桧隈の里があります。
    八幡神社 -はちまんじんじゃ-
     
    この神社は服部郷朽飯(くだし)にあり、機織の神社として注目されています。顕宗天皇(485~487)の時に百済国努理使主の孫で阿久太の男の弥和をはじめ、機織の技術に長じた織姫たちが養蚕と機織の新しい技術を郷民に教え、生業として栄えたところから祭神として天万栲幡千比売命(たくさんの機織の神様)を祀ったといわれています。
     朽飯の地名は、命、管師、また、クダシは久太が志の略で継体天皇の妃倭媛(ヤマトヒメ)の子、久高の王の名であるとする説があります。

     

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